名もなき星の民から地球人へのメッセージⅢ(10~14)

 

(7月16日加筆) 

10

 

 地球を良く出来る存在は人間しかいない。

それは同時に、地球を悪く出来る存在も人間しかいない、

ということ。

 

確かに、地球人類を束縛に留めている第三者的存在はいる。

(その話はまたいずれ。

とりあえず、人間がすべてではないこと、

世界を方向付けている存在ははるかな昔からいる、

ということだけ知っておいて下さい。)

 

しかし彼らに原因があるとは言っているうちは

どこにも進めない。

 

それは子供が自分の未熟を親の責任にするのと同じで、

本質的ではない。

人生の主役は誰なのか、と考えれば、

この文脈では人類しか未来をどうにもできない。

 

人類は地球の在り様を左右できる存在として

まずその存在意義がある。

 

そこで自然と、人類は世界を良くする方法や悪くする方法を

模索するように、ある程度「プログラムされて」いる。

発想する内容は自由に近いが、

発想すること自体は決定されている。

それは遺伝子的なレベルのプログラムだ。

 

ただ現状では、世界を良くする方法に関しては

物質的には日々前進が見られるが、

精神的にはほとんど一歩も前進していない。

 

(一歩くらいは前進しているかもしれない。)

 

どういうことかと言うと、

より環境に優しいモノは作られ、流通するようになっている。

しかし

より環境に優しい心は、考案も共有もされていない。

どちらかといえば、環境に悪い心は

ますます発生、流通し続けている。

 

物質は見えても精神が見えない。

その理由は、人間が非常に狭い現実しか

いまだに見ることが出来ずにいるからだ。

 

たとえば僕は時々語るのだが、

「(その人が信じる)世界を良くすること」をしない人を非難する心、

というものがある。

たとえば政治参加のようなことだ。

 

このような時、人は例えて言うなら

地上1階以上のビルの建設を見守る立場にいる。

しかしその行為をしながら

地下1階以下の層に否定的攻撃的精神エネルギーを垂れ流している自覚がない。

 

一見世界は、少なくとも先進諸国は

豊かで満たされているように見える。

しかし精神的波動的には実はこの

「良いこと」に付随する汚染の方がはるかに問題になっていて、

地球全体に負の波動を広げる一因になっている。

 

たとえば我々は安易に捨てる服を買う。

その服は後進国の貧困者が作っていて、

彼らは安普請の工場が崩落した時、圧死した。

そのニュースを、彼らが作った服を着て、食事しながら見る。

 

こういうグロテスクな状況が世界を覆っている。

 

このように「見える現実」と「見えない現実」が乖離している。

それは人類が精神的波動的に

以前の記事で述べた言葉だと「情緒的に」

未熟だということを意味している。

 

(僕はだから東南アジア産その他を買ってはいけない

言っているのではない。

状況を無視してはいけないと言っている。)

 

いま自分が発している波動は、

触れている波動はいかなるものか。

それに熟知しない限り、人は自分を、自分たちを正しく保つことはできない。

 

それはつまり地球にふさわしい自分たちでいることもできないということだ。

 

11

 

では精神的波動的にはどのようにして「地球に良いこと」が出来るのか?

 

この問いの答えに、「祈りによって地球を良くする」

という方法論があり、これが僕の最も伝えたいこととなっている。

 

ただ祈りも全然人類社会には正しく理解されていないので

僕は出来ることならそれを教えたいと思う。

 

正しい祈りとは「感情体」の発するエネルギーではない。

 

感情体というのは、「肉」体が可視的なのに対して、

不可視の体だ。

 

それは何事も感情的に受け取り、

感情的に反応する。

 

それがいけない訳では全然ない。

ただし地球人類は感情体のコントロールが総じて未熟で、

振り回されてしまう。

 

そしてコントロールできていないという意味で

馬に乗るように刺激的で、

結果、生きている実感のようなものを得られる。

 

地球人類は映画などで泣きたがる。

それは感情体の振動を欲しているということだ。

 

知らずに泣いてしまう、怒ってしまう、

または安易にぬか喜びしてしまう、調子に乗る・・・

こういう現象は、感情体のコントロールが出来ていないことを意味する。

 

しかし残念ながら、

どんな悪人でも最後に悔悛すればホロリと来てしまうように

感情体は非常にしばしば判断を間違える。

だから精神的波動的に発達した存在は、

感情体にメインの働きは与えない。

 

だから同じ理由で、

感情体が発する祈りは感情体がメインの存在には響くのだが

感情体をコントロールできる存在には一切響かない。

 

つまり「あなたのために毎日祈っているよ!」

と言われたら、感情体が喜ぶため

人間はそれをエネルギーに変えることができる。

 

しかし地球は感情体をメインに置いていない存在なので

感情体に由来する祈りをどんなに与えられても

エネルギーには変換できない。

 

それはまるで欲しがっていないプレゼントをもらった時の

致しかたない冷やかさだ。

念のため言っておくと、

地球は人類の未熟を見下している訳ではない。

ただそういう経験はきっとあなたにも身に覚えがあるはずだから

そのように祈りということを考え直してみることを勧めたい。

 

この正しい観点で見直すと、地球人の

また日本人が昨今の震災被害などに寄せる「祈り」が

何の意味も備えていないことが分かるだろう。

 

それは人が喜ぶだけで自然世界には一切関係ない。

なぜなら自然世界は人間の一喜一憂で茂ったり枯れたりしない。

それはつまり、自然世界は感情体を重視していないということだ。

 

本当に自然世界、そして地球のことを思うなら

地球にとって有意義性のある祈りを届けないと意味がない。

 

このようなことのためにまずは

日々の瞑想や肉体と精神の健康性の維持が前提として不可欠で、

その上にはじめて「祈り」が正しく乗るようになる。

 

12

 

祈りについては僕はいろいろな時に形を変えて語っているが、

一番重要なのは

 

「祈りとはフルタイムの精神波長であって、

時間で区切られたアクションではない」

 

ということだ。

 

つまり存在自体が祈りになるということ。

 

物凄く難しい。

 

社会全体がその真逆に行っているからだ。

 

ただここで話を急に進めるが、

僕は今後、地球のために祈るという心を

希望者(で僕判断による有資格者)には伝えていきたいと思っている。

 

具体的にはヒーリングとは別種の

「イニシエーション」ということをアトリエにて行う。

これによって、受けた人には

地球と同調しやすいエネルギーが宿されることになり、

その人の存在自体が地球に貢献する波動を発するようになる。

(勿論あなたがしっかり自己管理を続けられた場合)

 

更新は1年。

僕はこれを希望者に年1回、施そうと思う。

僕自身のためにするのではなく、

相手のためにするのでもなく、

地球のためにする行いであるから、

無償で行う。

 

ただあなたも受ける際は、その心で受け、

個人的な話などはしないように。

 

その人は1年間は、無意識レベル、細胞レベルで

地球と関わってことになるから

強い希望や願いを持ち、

また恵みも大きいけれど精神的肉体的負荷も

人によっては恐らく大きくなるので、

自分の人生にそれだけのものを上乗せできる余裕や覚悟がない人は

少なくとも今は見送られると良いと思う。

 

一方、地球のために自分の一部でも捧げたいと思う人は

イニシエーションを受けてほしいと思う。

  

(ただ物事にはタイミングや縁があるので

僕の方で判断して

「もう少し待ちましょう」

と言うこともあるのでそこはご了承ください。)

 

有資格者、と書いたけれど

具体的には

・僕のヒーリングを半年以上受けている人、

・精神が比較的安定している人、

・その後、真面目に瞑想を続ける人

ということにする。

 

念のため、ホームページのリンク。

https://www.microcosmo-healing.com/

 

地球のため、と言葉で言い、可視的な営みで果たしていても

精神的波動的なレベルで実現できている人は実は

極めて少ない。

 

僕はある時までは、ヒーリングが自動的に

人にそのような在り方をもたらすと予想していたのだが、

実際にはそうではなかった。

 

これは考えが甘かった。

 

例えて言うなら、

プロになる、と決心してプロになる人はいても

趣味で練習を続けていたらプロになったという人は

(極めて例外的にしか)いない、

ということだ。

 

精神的に地球のために生きる、と決めて初めて

精神的に地球のために生きられるようになる。

 

自分のためを突き詰めていったら地球のためになった、

というのは少なくとも僕が伝えたい範疇にはない。

 

(勿論、そういうことが出来たら非常に嬉しいし望ましい。

しかし現実はそれほど甘くないという意味で。)

 

瞑想も同様で

「自分のための瞑想」の延長線上に

「地球のための祈り」はない。

 

だから「地球のための祈り」はまた別に教えないといけない。

 

ただこれは理屈ではないのと、

長い時間をかけて感覚の中に

落としこんでいかなくてはならないものなので

それはこのブログや僕の作る歌や物語を通して

なんとなくでも伝わっていったら嬉しい。

 

話は少し寄り道するが、

そういう観点で僕の音楽や絵や小説に触れてもらうと

頭ではなく心の深い層に響く何かが必ずある。

(これも興味のある人は問い合わせてください。)

 

大切なのは感覚が「その静けさ」「その深さ」に

次第に馴染んでいくことだ。

作家としてあまり積極的に言いたいことではないのだけれど、

僕の作品は鑑賞するものではなく、

そこから何かを学び取るものだと思って触れてもらえると、

ブログなどよりも何千倍も価値のあることをお伝えできるように作られている。

 

このブログのように本題に対してダイレクトに述べているものを

人は「情報」だと思いがちだが、

芸術作品や自然世界のあらゆることが伝える内容に比べれば

ほとんど頭にしか入ってこないものなのだということを

知っておいてほしいと思う。

 

13

 

僕のことを少し書く。

 

僕は「人のためではなく地球のため」でスタートした。

勿論、そのような使命で生まれたのだから

この目的意識は必然だった。

 

そして僕は最初は芸術によって

次にヒーリングによってそれを実現しようとしたのだけれど

まだこの心を妻以外の人には伝えられていない。

(2018年5月現在)

 

というのも一つには僕が自分のその可能性を

ずっと封じ込めてきたからだ。

 

「地球のため」は聞こえは良いが

「人のためより地球のため」は想定されるよりはるかに厳しい。

 

厳しいだけならまだ良いが「無益だ」と思われる。

 

人は辛くなると、

まず自分の不幸を嘆くものだ。

そんな時には地球云々は無益に思う。

僕も時にはそうなる。

 

僕は地球を愛するがゆえに

そうした言葉を聞くのが辛いので

「まずはあなたのために」と基本的に語るようになった。

 

誤解なきように言うと、

「あなたのために」益を為すことが悪いなどと言っているのではない。

ただあなたのために僕が出来ることはヒーリングだが、

地球のために出来ることはイニシエーションだと

分類するようになったというだけの話。

 

僕はこの数千年で数回、

地球の再生者として異星から地球に生まれてきているが

そのたびにイニシエーションをしてきたのだろうということを

先日おぼろげに推測した。

 

なぜかと言うと、

そのやり方が始めから分かっているからだ。

 

生まれるたびに地球の状況も課題も違うので

今回僕はどのようにしていくべきなのか

模索しているし、まだまだ模索が続きそうだ。

 

しかし今のところはまずイニシエーションによって

本来の営みに一歩近付きたいと考えている。

 

14 

今回の記事の最後は歌とする。

 

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『テラへの祈り』kawabemasanori 

この星の心に 耳を澄ましてみて
生きている素晴らしさが 歌を歌っている

誰にも気付かれず 消えてゆく命は
優しさの風を受けて ふるさとに還る

もしも空が 寂しく見えたら
傷ついた心を 抱き締めている

命は生まれる この星の優しさを
闇空に見つけて 宇宙の彼方から旅して

どこにでも密かに 息づく喜びは 
愛という光の中 空を見上げている

忘れられた神の 恵みを語るため
雨のあと 揺れる花は 声を届けている

もしも鳥が 嘆いていたら
空に舞う涙を 癒している

命は生まれる この星を包むように
恵みを祝うため 宇宙の彼方から旅して

この星の心に 耳を澄ましてみて
生きている素晴らしさが 歌を歌っている