名もなき星の民から地球人へのメッセージⅣ(15~19)

15.

 

 世界を良くする方法、というのは色々ある。

 

ただその「世界」というのは何を意味しているのか・・・

それによって目的も異なれば方法も異なる。

 

ごみを減らす、

紛争を減らす、

病気を減らす、

差別を減らす、

 

そういうのもあるし、

 

また

もっと便利な世界にする

もっと快適な世界にする

もっと自由な世界にする、

 

というのもある。

 

別に悪いことではないが、

地球人は地球人の保全のために努力している。

 

地球人の保全上必要だという理由で

環境保全の努力もしている。

 

ただ、それは必要であると同時に

それがすべてでもない。

 

これまでの記事で語ってきたように

愛と帰属の精神というものは

自己保身とは別口に存在する。

 

ただどうしてか、

「自己保全」と「愛」、

これが両立するのではなく

対立、矛盾してしまうのが、

地球人の限界だ。

 

僕が今日お伝えしようと思っていることは

脳の正しい使い方だ。

 

なぜなら脳の映写機が、世界だからだ。

 

脳内がネガティブなら現実はネガティブになる。

脳内がポジティブなら現実はポジティブになる。

 

私一人がネガティブだろうとポジティブだろうと

大した影響はないのでは?

 

と思うかもしれないが、

 

実際、大した影響はない。

 

同時にかなりの影響がある、

 

ということを知ってほしい。

 

例えばどうしようもないレベルのオーケストラがあるとする。

そこにベテランが一人、入る。

 

音楽が変わるだろうか?

 

まず変わらないだろう。

 

ベテランは苛々することだろう。

 

しかしその人がずっと参加し続けることで、

もしかしたら誰か一人が

「自分ももっと上手くなりたい」

と思うようになるかもしれない。

 

その人を見て他の誰かが

「私も負けていられない」

と思うかもしれない。

 

そしてまた別の一人が・・・と続いていく。

 

こういうことが奇跡のように

1か月で起きるかもしれない。

10年かかるかもしれない。

 

10年かかって良くなればまだ良いが、

10年かかっても、いまだにオーケストラは

下手糞かもしれない。

 

でもそれは誰がコントロールできることでもない。

 

これが

「一人が全体に影響を与える」

また同時に

「一人が全体に影響を与えられない」

というものだ。

 

普通のことだろう。

 

「私一人が良くなったって、世界は変わらない」

また逆に

「私一人が良くなれば、世界が良くなる」

という考えは、

スケールの大きさのために自然の感覚を見失っているということを

忘れてはいけない。

 

何事も小さく、あなたにとって想像が容易なスケールから

考えてみると良い。

 

そしてオーケストラに対する一人の影響を理解できたら

そのままの形で地球規模に広げていく。

 

人類というどうしようもない雑音集団に対して

美しい音を奏でられる人がどこまで影響できるのか・・・

 

それは後になってみないと分からない。

 

忘れてはいけないことは、

彼らにだって、いつ向上心を持つか、

いや永遠に向上心を持たずにいるか、

という選択の自由があるということだ。

 

もう一つの大切なことは、

自分は良い音を奏でたいから良い音を奏でているだけで

それは義務では全然ない、ということだ。

そうしたいからそうするだけだ。

 

そこもまた自由なわけだ。

 

「一人が正しい脳を持つと

正しい現実が作り出される、

その結果、何かが良くなるかもしれないし

良くならないかもしれないが、

自分が正しい脳を持ちたいなら、持てば良い」

 

という理屈を、理解して頂けただろうか。

 

・・・それで脳の話をしようと思っている。

  

正しい脳とは何だろう。

 

それは左右の両脳を連携させるということだ。

 

先に左脳と右脳について説明すると、

 

左脳は言語を扱う。

右脳は非言語(感覚)を扱う。

 

左脳は論理的に思考する。(「こうだからこうだ」)

右脳は感覚的に把握する。(「ピンと来た」)

 

左脳は過去と未来を扱う。(蓄えた金と減っていく金を考える)

右脳は現在を扱う。(今ほしければ今それを買う)

 

左脳は形あるものを見る。(その人の肩書きを見る)

右脳は形ないものを見る。(その人の印象を見る)

 

いくらでも挙げられるが

ほぼこのような感じだ。

 

そこでよく人間のタイプをして

左脳型と右脳型と言うが

実は本質的ではない。

 

「ある人はある種の事柄については左脳的で、

ある種の事柄については右脳的」

というのが実際だ。

 

 そして多くの人にとって

そのバランスはかなり悪い。

 

両輪のバランスが悪い車を想像してもらえば分かると思うが、

乗れた代物ではない。魂が。

 

そこで僕は近頃、

左右両脳の連携を強めるための個人指導をするようになっている。

 

16

 

僕の所に来る人たちには共通性がいくらかある。

 

・感受性が普通に比べてかなり発達している

・しかしその自覚がない

・言語能力が低い

・他人に誤解される、批判される

・創作の営みをしない

 

すべてではないが、当てはまることが多い。

 

これを脳の観点で説明すると

 

「発達した右脳に対して

左脳が退化していてバランスが悪すぎる」

 

ということになる。

 

問題を外側から見てみる。

 

まずはそもそも社会全体が

「見えないもの」を忌避する傾向にある。

しかし本来、人間は

見えないものと関わる感受性を持っている。

 

だから見えないものへの感受性を

いまなお宿している人は

その点では人として自然本来に近い。

 

逆に見えないものを忌避し、疑う人は

(社会の大半だが)

その点では人の自然本来からかけ離れている。

 

正しいか間違っているかで言えば、

反省しないといけないのは

見えないもののすべてを

「気のせい」「オカルト」「思いこみ」

と誤解する人々の方だ。

 

しかし実際には多勢に無勢で、

見えないものに思いを馳せたり、

実際に「見えたり」「聞こえたり」してしまうと、

変人の扱いだ。

 

それで感受性の豊かな人は

人生のかなり早い時期から

自分を隠し、自分を偽る、

という方便を身に付ける。

 

しかし人間は嘘を重ねるうちに

自分が嘘をついていることを忘れ、

嘘を現実だと思いこむ生き物だ。

 

だから感受性の豊かな人は

自分の感受性の豊かさを隠す内に、

感受性が豊かであることを忘れ、

「自分は普通の人です」

と言い出すようになる。

 

しかしそれは表層意識の声であって

魂の声ではない。

 

こうして潜在意識と表層意識の間に

埋めがたい矛盾が生まれ、

それが不幸や病気や孤独のもととなる。

 

これらの人は自分にも他人にも嘘をついている。

嘘をつくと必ず不幸な波動を吸い寄せる。

結果、これらの人は

一生懸命、本来の自分を殺して

社会の標準にすり寄ろうとしているのに、

なお誤解され、批判され、無視される。

夫婦関係が悪かったり、病気をしていたりする。

 

だから僕は感受性の豊かな人には常に

その持前の感受性を認め、活かすように言っている。

  

そしてそうしていく中で、

いまだに友達であろうと頑張っている、

無理して合わせている人たちから

さらに理解されなくなればいい。

 

あなたがそうやって正直になっていったあとで

本当の友達や伴侶が現れ、

あなたは自分を、人生ではじめて

そのまま受け入れられるようになる。

 

さて、こうした人たちは

述べてきたような理由で対人関係では

かなりトラブルや不安や緊張感を抱えている。

 

いつも誤解されるので、そして伝わらないので

自分から発言することが億劫になり、

言語表現能力がどんどん落ちていく。

 

結果、その人の言葉は滅多なことでは

他人に通じない水準にまで低下していることが見受けられる。

 

この症状として

 

・書き言葉を正しく書けない(常に口語的に書いてしまう)

・文章を作成できない(文法の欠如)

・指示語を多用する(内容を明示しないままの「あれ」「これ」「それ」)

・口癖が多い(だいたい間が持たない時に出る)

・安易に同意を求める(「ね」)

・「うまく言葉にできない」「分からないけど」を多用する

・小声でもごもご喋るまたは甲高い声で喋る(どちらも自信がないため)

・とことん喋らない

 

などのことが非常にしばしば見受けられる。

 

自分がどれくらい当てはまるかチェックしてほしい。

 

これがあまりにも当てはまるような段階では実は

「人々は私を理解してくれない」

ではなく

「あなたを理解できるはずの人でさえ、あなたを理解できない」

というふうになっている。

 

なぜなら「伝えるつもりのない言葉」を

あまりにも使い慣れてしまったからだ。

 

言語については、とにかく慎重を極めて

丁寧に使うべきだ。

そうすれば必ず改善する。

 

ここまでで5つの特徴のうちの4つを説明したので

改めて確認してほしい。

 

・感受性が普通に比べてかなり発達している

・しかしその自覚がない

・言語能力が低い

・他人に誤解される、批判される

・創作の営みをしない

 

これらのことは

同じ一つの理由によって存在している

連携した状態なのだ。

 

創作の営みに関しては後ほど述べる。

 

17.

 

脳の観点で言い換えると、

感受性の豊かさは右脳に基礎を置いている。

 

感受性が豊かであるということは

1を見て100を感じる、というようなことだ。

 

芸術的感性を持つ人は

そうでない人と決定的に違うことに、

夕日を見ただけで人生を洞察したり、

旋律を聴いて泣き崩れたりする。

 

これはつまり入力1にたいして

内面世界で出力100が生じるということだ。

 

これは才能と呼び得るものだが

これらの人の多く、いや

少なくとも僕の所に来る人の多くは

出力を再度、1まで削減する。

 

なぜかと言うと、

1から100を連想したら

「考えすぎた」

「神経質だ」

「(皮肉っぽく)ロマンチストだね」

「現実を見たら」

とあまりにもあなたは言われてきた。

 

だから1を見て1か、せいぜい10くらいまでしか

反応していない演技を無意識にする。

 

現実には、

百万の言葉が胸の内に湧き上がっているのに

言える言葉は「すごい」の三文字だけという具合だ。

 

この時、自分自身に対して

「-99」とか「-90」の働きをしているのだから

それが自分の魂にとってストレスにならない訳がない。

 

それで感受性の豊かな人は、

感受性の鈍い人たちが

1見て1感じる、つまり

自分に負荷を0かけている間に、

人知れず自分に負荷を99かけている訳で、

病気したり無暗に疲れやすかったり、

不幸の感覚を恒常的に味わったりする。

 

この文脈において、

感受性の豊かな人にとって、

自分に負荷をかけないあり方を見つけるということは

ほとんど死活問題だ。

 

ここに、左脳を正しく使用する、

という必要性が生まれる。

  

感受性の豊かな、そしてその豊かさによって

ストレスを自分自身に与えている人は、

心の領域にいわば在庫が過剰な状態になっている。

しかもそれはほとんど賞味期限切れだ。

 

あの時思ったけれど言わないままにしていることが

何十年分と溜まっている。

それは病気や不幸の巣となっている。

 

どうしたらその在庫を放出して

山積した過去を解消して、現在を生きられるようになるのか。

 

高度な芸術表現を除けば、

心の領域のすべてを言語化することによってのみ

それは可能になる。

 

言語化するということは

慣れないうちは途方もない努力を要する。

 

言語化するに当たって、

語彙の少なさや言葉使いの下手さは言い訳にしてはいけない。

 

幼児の言葉でも心に響けば人は泣く。

外国人の片言の言葉でも深く共感できることがある。

 

とにかく何であれ、言い訳はやめよう。

 

言語化という営みは、心という暗闇の世界に投げかける光だ。

その光によって心を知ることができる。

掃除することもできる。

その光のおかげで転んだりぶつかったりすることを避けられる。

 

言語化の力が弱い人は心に対して無知だ。

その無知もまた、自分を不幸にする元になっている。

 

このように、右脳と左脳の関係は

本来相互補完的なものだ。

 

右脳(感覚)の世界は無形であるため混沌としている。

左脳(言語)はそれを有形にし秩序を与える。

 

決して右脳が左脳より優れているのではない。

左脳が右脳より劣っているのではない。

 

この両方を連係させることを霊的という。

 

最後に残った

 

・創作の営みをしない

 

これの意味も、そろそろ何となくお分かり頂けるのではないだろうか。

 

無形を有形にするという営みは

たとえば心の中に聴こえた音を音楽化する、

心の目で見た風景を物語化する、

という形も取り得る。

 

しかしそれは想像できると思うが

言語化と同じかそれ以上に困難な営みだ。

 

だから、基本的に傾向として、

言語化能力の低い人は

創作能力も必然的に低い、

ということになる。

 

19.

 

ここまで書いてきて、僕はそれらの人を勿論批判しているのではない。

 

むしろその感受性は非常に素晴らしいものなのだから、

それを本来のサイズで活かすべきだ、

それはあなたを不幸から遠ざけ、幸せに近付ける、

ということをお伝えしたくて書いている。

 

僕から出来る手短なアドバイスは以下だ。

 

・感受性の豊かさをまず認め、大切にすること

・何かを創作すること

・自分の内面のすべてを言語化すること

・誤解と批難をする人を遠ざけること

(分からない人は放っておくという勇気を身に付けよう)

 

霊的に生きるということの実際は、

両脳的に生きることに宿る。

 

今回は脳の事柄について話しているが

本題はいつも地球帰属意識だということを忘れないでほしい。

 

地球帰属意識を持つことは容易ではないし、

またそれが絵空事であっては何の意味もない。

 

「なぜ地球のために、

地球が幸せであるように生きたいと思うのか?」

 

「それは自分が地球に人として生まれたことを

感謝しているからだ。」

 

「どうして人であることを感謝できるのか?」

 

「人はこれほどまでに自由で恵まれた存在だからだ。」

 

・・・これは理屈で頭に叩き込む「模範解答」ではない。

 

あなたが両脳的に生きる時、

あなたは心の深さと豊かさを初めて知る。

 

右脳が見た形のない夢に

左脳が形を与えることで

夢が叶っていくことを、

夢は叶っていくことを、

何度も何度も体験する。

 

そのたびに、あなたは自分の幸せと恵みの大きさに驚くことだろう。

 

こうしてはじめて自然と、とても自然と、

自分を作ってくれた、そして自分を存在させてくれる存在に

尽くしたい、恩に報いたい、と思うようになる。

 

両脳的になれば、自ずと生きる道が見える。

 

それは魂の歩むべき道だ。

 

両脳的な生き方を、始めよう。